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執筆者の写真kumada rie

FMラジオ「月も笑う夜に」に生出演しました


 7月29日夜、FM79.2ラジオ番組「月も笑う夜に~虹色トークライブ」に生出演しました。約30分間、トークゲストとして話させて頂き、私が医療記者を目指したきっかけ、在宅医療や救急医療などのお話をさせて頂きました。この番組はUstreamで動画中継されるので、パソコンやスマートフォンなどインターネットにつながる環境があればどこからでも視聴できるというのが面白かったです。  最初は、私が記者になったきっかけを話しました。よく、「なんでそんなに一生懸命この仕事をするの?」と聞かれるので、少しご紹介したいと思います。


 以前、ロハス・メディカルのブログにも書きましたが、私がメディアを目指したのは、大切な親友の死がきっかけでした。私が学生だった15年ぐらい前の話です。私の親友は、HIVに感染していました。当時、まだHIV/AIDSは「死ぬ病気」というイメージが強く、セクシュアルマイノリティがかかる病気だという偏見もありました(今は薬が改良され、正しく服用し続ければ、罹患していても寿命をまっとうできる病気になっています)。孤独だった彼女は、耐えきれなかったのかもしれません。自ら命を絶ちました。


 当時の私は、彼女の死という事実を認められず、耐え切れなくて、医療、福祉、行政、社会、自分自身を責め続けていました。やり場のない怒りと悲しみを、あちこちにぶつけ、酷い有様だったと思います。けれどある時、「責めていても変わらない、じゃあ自分には何ができる?」と思った瞬間に、世界が変わったのです。私はHIV/AIDSキャリアをサポートするNGOに関わるようになったり、色々行動し始めました。そこでメディアの重要性に気付き、記者を目指したのです。そして、福祉業界の専門誌の記者になりました。  それからの私は、医療福祉現場を知るために記者をやめて国家試験を受けて病院や有料老人ホームで働いたり、また記者に戻ったりと紆余曲折してきました。でも一貫しているのは、「必要な情報を、必要な人に届けたい」「分かりにくい医療・福祉を、分かりやすく伝えたい」ということです。誰かや何かに振り回されることなく、それぞれの人が自分の人生の主人公として生きられる社会をつくりたいと思って活動しています。


パーソナリティの山村武大さんと


 私の中では、いまだに彼女への思いが消化されていないのだと思います。もっと何かできたんじゃないのか。私にもっと力があったら、彼女を止められたんじゃないのか、もっと私が大人だったら、彼女はそうする前に、私に何か一言発してくれたんじゃないのか。私がもっともっと大きい人間だったら、彼女を助けられたんじゃないのか。彼女が笑って生きられるように、助けられたんじゃないのか・・・!    今でも、そんなことばかり考えています。きっとそれが、私の原動力なのでしょう。今さら、彼女を助けるなんてことはできないけれど、もし彼女がこの社会にもう一度生まれ変わって生きてくれた時、少しはいい社会になっていたらと思うのです。自分から死ぬことを選ばなくてもいい社会にしたい。「生きていることは楽しいと、素晴らしい」と心から思えるような、そんな社会にしたいのです。  もう叶わないけれど、もう一度、彼女のあの笑顔を見たい。それが私の、記者を続ける理由です。

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