■育てるために親子関係を捨てた 退院から2か月後、娘はいつも吐こうとしている様子だった。娘の睡眠時、迫田さんが娘の口にミルクを入れると飲むことが分かったのでそうしてみたが、起きると吐く。目を覚ますと口を開かなくなり、泣きわめく。ついに哺乳瓶からは全く飲まなくなった。「苛立ちがピークに達して娘を布団に投げつけました。そうでもしないといられないぐらいの気持ちがありました。とは言っても実際には、手に持った娘を、ぽんと布団の上に置くような感じです」。一方の娘は、迫田さんから離れたことによってにこにこと笑っていたという。 迫田さんはその時に、スポイトを使って飲ませるということを思い付いた。娘の体を足で押さえつけて、上体を上げてスポイトでミルクを口に流し込んだ。50mlを飲ませるのに1時間かかった。「無理強いでも、この子が育つなら体だけは育てよう。もはや、良好な母子関係などは捨てよう」と思った。医師からは「スポイトでも飲み込んでいるんだから、続けていくべき」と言われた。しかし、カロリーが足りないため一日に700ml飲ませるように言われ、苦しくてたまらなくなった。
迫田さんの話を聞く参加者
娘の体を検査しても、消化管や飲み込み方、染色体にも異常はなく、食物や胃酸が胃から食道に戻ってしまう逆流症でもなかった。「先生からは『この子はどこも悪くないのに』と言われて、『どこも悪くても飲まないんですよ』と言いたかったけど、そういうことはお医者さんには言えないんですよね」と、当時の気持ちを語った。 新しく小児科医として担当になった医師の判断で、娘が肺炎で入院していた生後8か月の頃には経管栄養にしていた。迫田さんは経管栄養の仕方も習った。 ■虐待のようだと分かっていても、食べなければ娘は死ぬ 娘は退院後、自宅で経管栄養をしても入れた栄養剤をすぐに吐いてしまった。チューブを抜く時にも入れる時にも吐き、目を離すと入れたチューブを抜いた。迫田さんは娘がチューブを抜かないように手を縛ったり、ガムテープで抑えたりもしたが、どんなにチューブを固定しても娘は器用に抜いてしまい、「何のいたちごっこだろうかと思った」。嘔吐を減らすために椅子に縛り付けて飲ませたこともあった。迫田さんは娘を可哀想に思っていたが、「そうするしかなかった」。娘は体を横にすると吐くのでおむつ替えのタイミングも難しく、お尻が荒れて泣いた。迫田さんは娘の泣き声を聞くたびに、気が狂いそうになった。冷蔵庫のそばにいれば食べ物に興味が湧くだろうかと思い、迫田さんの台所に立つ姿を見せられるよう、椅子を冷蔵庫の前に置いて座らせたりもした。外で遊べば娘の気もまぎれるだろうかと外出したが、外で遊んだ経験のない娘は何をやっても泣いてしまい、体調を崩すので結局室内に戻った。迫田さんはどうすればいいのか分からないまま、時間だけが過ぎた。小児科医から嚥下訓練を勧められたが、新生児科医から「どこも悪くないから、訓練は無駄」と言われた。親族はなかなか成長しない娘を見て「可哀想。小さく産んだからね」と言い、迫田さんの胸に言葉が突き刺さった。 迫田さんは当時を振り返る。「娘の存在が苦しくて苦しくて、段ボールに入れてごみの日に出したら、すべてがなかったことになるのかなと考えたりしました。また二人で海に行って『このまま死んだら楽なのに』と思ったけど死ぬこともできず、でも飲んでもくれず。この頃にはいろいろなことがあったはずなのですが、思い出せません。時々娘を置いて外出するのが私のわずかなストレス解消でした。ほんの少し離れる時間がお互いに必要だったと思うが、家に置いていくことが虐待であるという認識もあり辛かったです」。 注入と嘔吐の繰り返しに疲れ果て、迫田さんはシリンジで注入するようになった。 ■動悸がして手が震えた 1歳6か月、小児科医の紹介で地域の療護園(※)を受診。娘の様子はあまり変わらず、改善の見込みも感じられなかった。娘の気を紛らわせるためにおもちゃなども使っていたが、最も吐かないのは迫田さんが娘の胸を叩いて泣かせている時だった。娘は泣いている間、吐くことを忘れるので泣かせながら飲ませていた。しかし、迫田さん自身に異変が現れた。栄養を与える時間が近づくと動悸が起こり、手が震えるようになったのだ。「子どもを叩きながら育てたいと思う親はいません。これでは虐待ですよね。叩きながら栄養を与えているって何だろうと思っていました。虐待のようなことをしながら、なんでこんなことをしているんだろう、いつまでこんな日が続くのかと、毎日つらい思いでいっぱいでした。でも、自分が頑張るしかなかったんです」。 ※療護園…児童福祉施設と病院の機能を併せ持つ障害児施設。医師や看護師、保育士などがおり、療育に重点を置いた支援をする。施設によってショートステイやデイケアなどの在宅サービスも行っている。 この頃、娘は飲ませようとしない人だと分かると、頬ずりをしたり体をくっつけたり「異常なほど」の愛着行動を見せるようになった。一方で自宅にいると表情が暗くなるなど、栄養を与えようとする人間が周囲にいることが娘のストレスになっていると分かるようになった。迫田さんは「嫌われながら育てるとは、なんとつらいのだろう」と思った。自分の母親から娘への栄養の与え方を「いじめだ」と非難されたり、療護園入院のために関わった児童相談所の職員からも状況を理解してもらえず、孤立感は高まるばかりだった。 ただ、娘の食欲に任せて飲ませるようにした時、本人も頑張って飲むと体が楽になると気付いたのか自らの頭を撫でながら飲む時もあった。その姿があったからこそ、無理強いと分かっていても飲ませ続けた。
(つづく)
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