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執筆者の写真kumada rie

認知症を“自分ごと”にする社会にしたい

国内の認知症患者は約250万人に上り、団塊の世代が後期高齢者になる2025年には約390万人にも増えると予想されます。認知症患者や家族に対する支 援体制の整備は急務ですが、一般的な理解はいまだ低く、サービスも十分とは言い難い現状があります。こうした中、社会の認知症に対する考え方を転換させ、 当たり前に受け入れられる世の中にしようと、NPO法人「ハート・リング運動」がこのほど立ち上がりました。「人任せでなく、本人にとって大切なことを自分たちでしっかりと考えられる社会になってもらいたい」―。立ち上げのきっかけは、事務局長を務める早田雅美(はやた・まさみ)さん(写真、50歳)自身の介護 経験でした。早田さんに、ハート・リング運動の活動内容と、込められた思いを聞きました。(熊田梨恵)

 早田さんは現在、認知症の母親の美智子さん(80歳)の在宅介護と、3歳になる息子の子育てを、妻と共働きしながらこなしている。美智子さんはアルツハイマー型とレビー小体型の混合型の認知症で、要介護度5。要介護状態になってから約3年、早田さんが自宅で介護をしてきた。早田さんは「認知症になる前と変わらない生活をしてもらいたい」と、美智子さんを社交ダンスに通わせ、好きな犬も飼い始めた。国内外の旅行も多く、昨年は家族でトルコに行って気球に乗り、今年は妻の両親も一緒にホノルルに旅行をして帰国したばかりだ。「これから何十年も生きるわけではない母にとっては、一日一日がとても大切。その一日を充実したものにして過ごせるかどうか」と早田さんは語る。その思いの裏には、同じくアルツハイマー型認知症だった父、昭三さん(享年73歳)に対する、苦い介護経験があったからだ。両親の介護を経験することになった早田さんは、社会の認知症に対する理解のなさや冷たさを痛感し、もっと当たり前に認知症を受け入れられる世の中になっていってほしいと、社会的なムーブメントとしての「ハート・リング運動」を思い立った。

―どのような活動を行っていく団体でしょうか?  認知症患者は今後300万人以上にもなると言われる時代が来ます。認知症になっても安心して暮らせる社会にするため、認知症患者本人、家族、一般市民、企業、医療・介護職、学校、自治体など、社会全体で支え合い、理解や思いやりを育んでいける活動を行っていきたいと考えています。  具体的には、認知症に関する普及啓発、情報提供などを様々なメディアを通して行っていきますが、認知症の患者や家族、関係者の声を集めて企業に提供し、必要なサービスや活動の開発をサポートしていきたいと思います。例えば私が母と一緒に街中を歩くと、「こんなサービスがあるといいのに」と思うことがたくさんあります。飲食店の食事メニューや交通機関、ショッピングセンターでの表示や色、サービス、生活用品や介護用品などにたくさんのニーズがありますが、企業は気付いていません。大きな企業や大きなサービスを提供するところは、日本人の生活シーンに大きな影響力を与えているし、無視して過ごせません。街の生活を考えると企業が作る街でもあるので、最大の味方になってくれたら、と考えています。

           昨年は家族でトルコに旅行し、気球に乗った。

―認知症患者にやさしい社会にすることが、経済の活性化にもつながるということですね。  3人に1人は高齢者の世の中なので、どの企業もみんな大切なお客様だと認識しています。でも高齢者の中には、認知症の人もいれば健康状態のよくない人が多 くいます。元気な高齢者だけをターゲットにするのは企業としてももったいないです。いろんな状況に置かれている高齢者に対応できるサービスを作っていった ら、もっと過ごしやすい街や社会になると思います。  また、認知症を抱えながらも様々な活動をしたりして、自分らしく生き生きと暮らしている人たちがいます。そういう方々の存在をポスターやリーフレット等で 知らせていくことで、認知症のイメージを変えてもらい、認知症になったことで今ある力の全てが失われるわけではない、ということを知ってもらいたいです。  具体的にはこれからですが、学生さんなど超高齢社会を背負ってゆく若い方たちと一緒に考えたり、様々な提案をしていただいたり、公のシンポジウムを開催 したりして、認知症について考えてもらえる一つの場を作りたいと思っています。「企業」が具体的に認知症について寄与できる場を広げたり、認知症の方に携 わる医療・介護従事者への情報提供なども考えています。次のステップとしては、認知症に直接かかわりのない多くの方にもこの問題に振り向いていただき、力 をかしてもらうための啓発活動まで展開したいのです。

                社交ダンスにも通う。

―早田さんご自身も、毎日お母様の介護をしておられますね。旅行に行かれたり、お母様の趣味の活動をなさったり、そういうところから、ハート・リング運動の活動内容を考えておられるのでしょうか。  今年は、要介護5の母、要介護4と2の妻の両親と、妻と3歳になる子供とで、ホノルルに車いす3台の旅行でした(笑)。妻の両親は初めての海外なので、ど うなるかなと思っていましたが、機内でも街でも高齢者にはとても親切な印象でした。認知症があると何をするにも行動を制限されることが多いのですが、母は 今後何十年と生きるわけではありません。認知症は病気じゃないとは言うけど、脳の中に何かトラブルが起こって、生活に差し障りが出ていることは明らかだ し、正常ではありません。少し厳しい言い方ですが最終的には死にもつながるわけです。だからといって深刻になるよりは、大切な今日一日を、充実して過ごし てもらいたいです。母が、どこまで何ができるかということを僕自身が見てみたいし、やってもらいたいと思っています。だから、認知症になる前と変わらない ことを極力してもらっているというのが、最近の生活スタンスです。先日も、ちょっとした時間を見つけて箱根のケーブルカーに乗って、山の上から富士山を見 てもらいました。ああいう場所にいるご高齢の方は、基本は元気な人ばかりで、介護を受けているような人はいません。母はやはり認知症もあって疲れやすいら しく、可哀想と思う時もあるのですが、やはり他人といると何か頑張る部分があるのか、ぴしっとするんです。ヘルパーさんが来て介護を受ける時の状態とは全 然違って、表情もどこかしっかりしています。もちろん、ケーブルカーに乗るために並んでいる前の人の頭をたたいてしまったりとか、色々してしまうのです が、僕も笑って受け入れられるようになってきました。以前、父の介護をしていた時は悲壮感ばかりでしたが、2回目ともなると、全然違うと感じています。

―早田さんは、お父さんも認知症だったのですよね。まだ介護保険が始まる以前に、自宅で介護をされていたということですが。  父の時は、「どうしてこんなことに? どうしてうちの父に?」という思いばかりでした。元気な時の父と、病気が進行している父を比べてしまう。本人はそれほどじゃないと思っていても、「認めたくない、見ていたくない」と、僕自身がつらくなっていたんです。例えば、父が自分のパジャマをはさみで切ったりして、この勢いで病気が進行していったら怖いと思うようになったりします。徘徊するといけないからこの薬を飲ませておこう、鍵をかけておこうとか。階段から落ちるといけないから通れないようにしておこうとか、“転ばぬ先の杖”を何本も立ててしまうんです。  しばらく在宅で介護をしていましたが、続かないと思って、父を精神科病院に入院させました。専門家に預けていたら責任回避できると思ってしまっていたんです。人に預けたら自分自身には静寂な時間が生まれるけど、決して安心に裏付けられているものではなくて、どこかにすごく不安がありました。半年ほどしてから、病院から電話がかかってきて「ほとんど食事もしなくて、危ない状態だ」と言われて、驚きました。父は食事もとれず、点滴だけの寝たきり状態になっていたのです。僕は一体どうしてこんなことになってしまったのかと先生に聞いたのですが、「医療にできることには限りがあって、仕方がない。職員も手一杯。その人を預かったら、その人に最適かどうかは分からなくてお預かりしているしかない」と正直に言われました。当時の僕は医療のことをまるで知らなかったので、病院に預けたら必ずしも症状が改善するというわけではないのだと思い、とても驚きました。「認知症は病院で治せる病気ではない」と言われ、次の施設を探しました。

―入院によって、病気が悪化してしまったのですね…。次の施設は、どうやって探されたのですか?  市役所に相談に行ってもお手上げ状態で、とにかく自分で探すしかありませんでした。ようやく、自宅から片道200キロ以上と遠方でしたが、認知症患者に手厚いケアをしている有料老人ホームを見つけました。父もみるみる元気になり、ご飯も食べるようになって太り、筋肉もついて歩けるようになりました。普通に話せるようになるほど回復しましたが、僕自身は1000万円単位の借金をしなければいけなかったし、遠かったので、長くは入所していられませんでした。当時、介護保険制度が始まったころだったので、自宅の近くにできていた介護老人保健施設に移りました。ところが、そこでは「歩かれたら困る」と、日中は車いすに座らされて、ベルトで縛られているのです。歩かないから脚も細くなります。ある日行ってみたら、車いすに乗った父がホールの真ん中にいて、長椅子で三角形に囲われているんです。身動きも取れない状態で、これが老健という施設なのか? と思いました。結局そこを出て次の施設に移りました。

―介護保険のなかったころの有料老人ホームに比べると、制度の中で運営される施設はケアの内容が制限されてしまうところもありますよね。  ただ、10年以上も前のことですし、身体拘束をなくそうという取り組みが各地で行われたりと、現在は良いケアをされている施設もたくさんあると思います。3件目の老健では比較的自由に過ごしていましたが、「骨も脆く、手足も細い状態なので、転んで折れることもあるかもしれない」と言われていたら、その通りになってしまいました。大腿骨骨折をして、救急病院に入院し、手術をしてから数日後に亡くなりました。ただ、入院期間中にあったやり取りなどを思い起こしても、医療では認知症に対応し切れない部分があるのだと痛感しました。


            美智子さんの好きな犬も飼い始めた。


―認知症の専門医が「認知症の研究は発展途上で、医師の間でもまだ理解が少ないと感じる」と話していたのを聞きました。認知症は、医療と介護の両方の関わりが必須ですが、まだまだこれからの部分がありますね  認知症は当然介護が大事ですが、やはり最初は医師による診断という医療の入り口があって、欠かせないものです。多くの方が体のコンディションを自分で説明 できない上、高齢者が多いですから、さまざまな身体的異変は容赦なく進行します。認知症そのものというよりも、そうした広い意味での医療の役割や活躍にも 期待してやみません。人間でなく動物も加齢からは逃げられません。どんな特効薬ができても人の認知機能が衰えていくことに変わりはないし、脳に障害が訪 れ、生活に障りが出ることはなくならないでしょう。だからこそ、そういうことを、自分たちがどう捉えて、対処していくべきなのかを人任せでなく考えないと いけないと思うんです。

箱根の駒ケ岳ロープウェーに乗車。―医療や介護に頼り切るのではなくて、自分たちの問題として腹を据えて考えていくと。  父の時の僕もそうでしたが、今の認知症の医療・介護は人頼みになっている部分が多いと思います。家族が認知症になると最初はショックが大きいし、「認めた くない、見ていたくない」という気持ちも出てくると思います。そしてどうしようかと悩み、市役所に行って相談し、医者の門をたたいては「薬はないか、名医 はいないか」と尋ね、介護保険ではケアマネジャーにお任せにしてしまいます。みんな「どこかに認知症を一瞬で解決してくれる“魔法”があるはずだ」と探す わけですが、そんなものはどこにもないのです。でも、最終的にどうしたらいいかと考えるのは、本人が無理なら、周囲の家族やそれ以外の周辺の人です。その 人のことを真剣に考える人たちが、人任せにしないで考えていく。その時には、医療者だけ、介護者だけが発信する情報で考えてもだめです。両方を冷静に見 て、自分たちのケースについてどういう風にしたらいいかと考えていきましょうということが大事だと思います。「他者に求める」ことを基本スタンスにしてい ると、「やってくれない」ばかりになるので、“負の産物”しか出てこないわけです。そこから得られるものは、何もありません。普通の病気でもそうだと思い ますが、本人や周囲が賢くなることが大事です。認知症と「闘う」のではなく、うまく付き合って、つぶされないように自分の生活を守っていくこと。自分の人 生で一番重要なのは命であり、自分らしさ、やりたいこと、食べたいもの、生きたい場所、人、などたくさんありますよね。

―普段からしっかりと本人に向き合ったケアをしていなかったら、「とりあえず」と言って救急車を呼んでしまったり、他人に責任転嫁をしてしまう。認知症だけでなく、どんな高齢者介護でも同じ問題を抱えていると思います。  それに今は、あまりに「認知症」という言葉の持つパワーが大きすぎると思うし、そのためにあらゆる可能性が押しつぶされている状況があります。やろうと思えばできることも、本人や家族のやる気をそいでいます。認知症といってもその人のごく一面に過ぎないし、認知症じゃないその人がいて、命があるんです。それが現在は、人格、命、すべてが認知症という一言で捉えられてしまっていて、損なことばかりだと思います。表面的な部分だけ捉えてしまうと、例えば温泉旅館に予約しようと思っても認知症というだけで断られたり、イベントに出かけようと思っても制限を受けたり、そうなってしまうのがもったいないと思います。


                  孫と自宅で。


―早田さんは、共働きをしながら介護と子育て、それだけでも大変だと思うのですが、どうしてさらに活動を起こそうと思われたのでしょう?  きっかけは、母の主治医でもある小阪憲司先生(メディカルケアコートクリニック院長、レビー小体型認知症研究会代表世話人)です。小阪先生に「もうちょっ と世の中がこうなったら…」と、ハート・リング運動の趣旨の話をした時に、先生も全く同じことを考えていて、とても大切なことであり、自分たちもそう思っ て日々診療に当たっていると言われました。その時に、こういう方が一人でもいるのであれば、医療の世界も変わっていくきっかけになるのではないかと思いま した。ただ、医師は科学者であり、啓発したり活動したりといった人の心を変えるのが仕事ではありません。現在の認知症啓発は、製薬会社が発信する情報が主 です。それはそれで大切です。しかしどうしても医療に寄った立場にならざるを得ない部分があります。認知症という言葉を外した生の人間としてのその人を見 ることから始めるという考え方や、一般の人認知症についての捉え方の転換につながるようなことは、僕たち一般市民が主体となってやっていくことだと思うん です。家族会もありますが、どの医師や施設がいいとか、現在当事者になっている人の情報交換が主になると思うので、考え方や捉え方を作っていくのは、もっ と市民レベルの活動だと思います。認知症については、ごく普通な人の普通の生き方、命や生活をどうやって守って行ったらいいんでしょうか、という話だった りすると思います。歳をとっていろんなことができなくなっていく時、周りもショックだけど、それ以上にその人自身がそう感じていると思います。食べ物をぽ ろぽろこぼしながら食べている時に、その人が何を考えているんだろうと思うと、そうは見えないかもしれないけど、できることを失う寂しさや焦り、不安があ ると思います。こういう事に対する理解や思いやりは医療に求めるのではなく、普通の対人間としてどう接するのか、人間としてどう心豊かになれるのか、とい うところ。でも、今はそれがないと思います。この活動で育んでいくのはそこだと考えています。

               今年はホノルルに短期旅行。


―とはいえ、働くだけで精一杯の私からすると、家では介護と子育て、外で仕事というのは、本当に大変だと思ってしまいます・・・。  僕はこの2年ぐらい毎日、母をお風呂に入れています。大変だと言われるけど、様子や体調が一番よく分かるので、大事な時間なんです。それを先日デイサー ビスの職員の方に話すと、「私たちはご家族が(介護で)つぶれないためにやっているつもりなのに」と言って、僕が介護疲れしてしまったら意味がないと言う のです。でも僕は、自分の判断の中でつぶれないようにやっているし、自分のことを考えるより、もがき苦しんでいる母が楽になってくれる姿を見ている方が よっぽど楽な感じがしているんです。同じ認知症で状態が酷くても、父を見ていた時より、母の徘徊の方が、気が楽だったりするんです。「親孝行だね」と言わ れるけど、それは違います。今僕は現役世代だから介護側の立場の話をするけど、あと20年経ったら介護される側にいるんです。今の社会の状態のままその側 に行くのは、ちょっとどうかと思います。もうちょっと自分らしく生きたいし、そのためのサービスなら嬉しいけど、家族が元気でいるためのサービスというの は、ちょっと違うと思う。すぐに介護を受ける側に回るんだから、今の目先のことだけ考えているわけにはいきません。  周囲でも認知症の家族を抱えて同じ問題に直面している人が多いけど、多くの方はどちらかの親に起こっていて、僕が父の時に右往左往したのと同じ状態で す。僕の場合は幸か不幸か、2人連続だったので冷静に見られる部分があるんです。だからこそ、僕ができることを、色々な人の力を借りてやらなければいけな いのだと思っています。


早田雅美(はやた・まさみ)

株式会社電通 コミュニケーション・プランナー NPO法人ハート・リング運動事務局長

NPO法人ハート・リング運動

代表理事(順不同) 今村聡氏(日本医師会副会長) 小阪憲司氏(メディカルケアコートクリニック院長) 大久保満男氏(日本歯科医師会会長)2013年1月就任予定 菊池令子氏(日本看護協会副会長)2013年1月就任予定 2012年10月設立 2013年4月から活動スタート

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