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執筆者の写真kumada rie

刑務所は最後のセーフティーネット


 「刑務所は最後のセーフティーネットの役割を果たしている」――。元衆議院議員で服役した経験のある山本譲司氏は12月15日、NPO法人パブリックプレスとメディ・カフェ@関西の共催イベントで講演し、地域で居場所をなくしている軽度知的障害者や精神障害者たちが、刑務所に服役することで最低限の生活を送ることができている実態があると語った。地域に受け皿がないために社会復帰できず、軽犯罪で刑務所の出入りを繰り返す障害者も多いとして、本来の自立支援を促す障害者福祉サービスの整備が急務と訴えた。(熊田梨恵)


■障害者、高齢者の最後の逃げ場  山本氏は、衆議院議員だった2000年に秘書給与詐欺事件で逮捕、1年6か月の実刑判決を受けて服役した。受刑中に刑務所に収容される障害者の実態を知 り、『獄窓記』などの著書を出版。今は罪を犯した障害者の地域生活支援などに関する活動を行っており、この日は大阪市内で、「障害者の“罪と罰”~本当の つぐないと更生と支援を考える」をテーマに講演した。

 国内の犯罪数や殺人事件数は年々低下しているため、諸外国と比較して治安はよいとして、受刑者の罪名は「ほとんどが窃盗罪」、続いて無銭飲食などの詐欺罪、女性の場合は覚せい剤関連の罪が多いと解説。「正直言って、(刑務所に)入る時は、自分のことは棚に上げ、刑務所にはどんな悪党がいるのかと戦々恐々としていた」が、実際には「みんなおとなしくて、高齢者が多いなという感じがした。また自分なんかを見ないでくれというように目を背ける人、自分が刑務所に入れられているという自覚のない人もいた」と、それまでに抱いていた刑務所に対するイメージが覆されたと語った。  すべての受刑者は入所時に知能検査を受けるが、「矯正統計年報によると、全受刑者中、IQ69以下が約25%」。実際、知能検査の場面では、文字の読み書きすらできない人も多かったという。そのうち、知的障害、認知症、統合失調症などの障害のある人が多数いると感じたと語った。その後の受刑生活のなか、小学校にも通わなかった、住民票がない、などといった人がいることも分かり衝撃を受けたと述べた。  山本氏が服役していた黒羽刑務所(栃木県)には、受刑者が日中に作業をする工場があったが、「約1700人いる受刑者の2割以上は、工場でのまともな作業がこなせない人だった」という。「寮内工場」と呼ばれる空き部屋に、一般的な作業のできない障害者や高齢者120人ほどが集められ、彼らはまさに「薬漬け」の状態だったと話した。大声を出したり徘徊したりしないよう、「人によっては70錠ほども」向精神薬をはじめとした薬を服用させられるため、日ごとに表情がうつろになり、失禁する人たちも多くいたという。日本では諸外国に比べると刑務所に予算があまり割かれず、刑務官も年次休暇の消化すら難しいローテーションで回されているため、「そうでないと管理できない状態だった」とした。


■350円の賽銭泥棒  刑務所内には多数の知的障害者がいたが、自分が罪を犯したという意識すらない人が多かったと話した。神社の賽銭を盗んだ罪で服役していた知的障害者の男性は、母親が生きていた当時に一緒に投げ入れた1000円分の賽銭があり、母親が亡くなってから生活に困ったため、賽銭を思い出し、中から200円を取って捕まり、さらに執行猶予中に150円を取ったために、実刑になったという。しかし本人は「まだ神社に650円預けている」という意識で、犯罪の自覚が全くないままだったとした。  また、地域に生活する知的障害者の中には、変わった行動をとる人もいるため、不審者として通報されてしまい、そこで暴れたりして逮捕される場合があるとした。本人が怖がったり嫌がったりして反抗すると「公務執行妨害」となってしまうことも指摘。2007年に起きた「安永健太さん事件」(*)を引き合いに、「こうして亡くなってしまったケースは最大の悲劇。ただ一方で、亡くならなかった人たちは公務執行妨害で捕まって刑務所の中にいるということ」と訴えた。 *安永健太さん事件…2007年に佐賀市内の作業所から帰宅中の安永健太さん(当時25歳)が、「車道を蛇行運転していた(警察発表)」ため、警察官がパトカーで追跡。保護しようと安永さんに触れると抵抗したため、応援に駆けつけた複数の警察官で取り押さえたが、直後に安永さんが痙攣や呼吸困難などの症状を示し、救急搬送先の病院で死亡した事件。  「警察は、容疑者を逮捕する場合、世の中の人が納得するような罪でなければならないと考えている。そこでそうしたストーリーにそって、容疑者の発言は度外視し、本人が言えるわけのないと思われるような立派な供述調書が作り上げられてしまうこともある」と、知的障害者の冤罪が多いことも指摘した。  刑務官は彼らを罰しているというより、「居場所を与えましょう。ご飯、寝床を与えましょう。弱肉強食の“娑婆”の中で大変な暮らしをしただろう。少なくとも満期までは自分たちが守ってやる。絶対お前たちをいじめさせるようなことはしないぞ」と、むしろ保護している感覚だったとした。また刑務官が「なんでもかんでも刑務所に押し付ければいいってもんじゃないだろう」と呟いていたことが、刑務所内の実態を如実に表しており、本来の医療・福祉サービスや必要な弁護が行われていないと感じたとした。  また日本の刑務所の高齢者率は15%と、諸外国と比較すると圧倒的に高く、刑務所に収容されたまま亡くなるケースが増えていることも指摘した。


■適用されない刑法39条  精神障害者の罪について規定した刑法39条(*)があるが、時間とコストがかかるため、軽犯罪で精神鑑定はほとんど行われていないと指摘。「おにぎり一個を盗んだ人に、過去精神科の入院歴があるからと言って精神鑑定なんかするかというと、できない。少なくとも、裁判所がその鑑定を採用しない。軽微な罪なら、こんな罪で責任能力どうのというのはやめようよ、となる。では弁護側がやれるかというと、ほとんどが国選弁護人。少ない報酬しか得られない状況の中で、時間もお金もかかる。それで持ち出しで精神鑑定をやるだろうか」と、結果的に刑務所に知的障害者や精神障害者が増えていくと語った。 *刑法39条 1、心神喪失者の行為は、罰しない。2、心身耗弱者の行為は、その刑を減軽する。 ■自治体で違う“知的障害者”  知的障害者の数自体が正確に把握されておらず、厚労省の中でも社会援護局では54万7000人、医政局は300万人以上と、統計が違うと指摘した。知的障害者福祉は自治体の管轄のため、各自治体で判定基準や考え方が異なり、結果的に国内で知的障害者の定義があいまいになり、人数やサービスに地域格差が出ている現状を指摘。  知的障害者施設でのサービスは、高齢者施設で行われている身体介護とほぼ変わらないとして、「心理学的視点からもサポートを行うメニューが必要だが、そういう事はほとんど行われていない」と述べた。加えて、現在の障害者福祉サービスで事業所が得られる報酬は、本人の日常的な動作の程度で決められるため、身体能力には目立った問題がなくても見守りなどに手間のかかる知的障害者へのケアは報酬にならないと指摘。このため、重度の身体障害者への支援を中心にする事業所が多くなり、結果的に軽度の知的障害者の居場所が少なくなっているとした。さらに2003年、それまで「措置」によって行われてきた障害者福祉が、本人と事業所の「契約」で行われる形に変わったため、みずから契約を打ち切る人も出るなど、ますます知的障害者が福祉から縁遠くなったことも挙げた。  知的障害者の手帳制度についても、「多くの軽度知的障害者にとっては、レッテルを張られるだけ」で、自立支援につながる制度になっていないと述べた。「たとえば、車いすに乗った人が溝にはまっていたら、誰もが助けると思う。だけど、朝の満員電車の中で奇声を発する人がいたら、みんな一斉によけると思う。どちらも同じ福祉的支援が必要なのに、日本は遅れている」。  アメリカでは人口の約20%に知的障害や発達障害があるとされているため、多くの州の司法の場で、障害に関する専門家が配置されており、罪の償い方や社会復帰についても勘案しながら刑事処分が下されるとした。しかし、日本の知的障害者は人口の0.4%とされているため、専門家を常設するという考えに至らず、本来なら刑務所を出た後に知的障害者が働きながら生活できる可能性も排除されているとした。


■「福祉のライバルは闇組織」  既存の知的障害者福祉では地域の中に受け皿が少ないため、結果的に「最大のリクルート先はヤクザ社会」になっているとして、軽度知的障害者が、反社会的勢力の団体、売春組織などに多く属している現状も指摘。山本氏が障害者福祉施設で働いていた当時、暴力団に行ってしまった元入所者を連れ戻そうとすると、本人が嫌がったというエピソードも紹介した。「福祉にいたら『あれするな、これするな』と言われ、命令されるだけだけど、ここだったら『お前はよく頑張ってるな』と、人間としての存在意義を認めてもらえる」と、現在の福祉サービスに欠けている部分を挙げた。「福祉のライバルはヤクザ組織。そこからどれだけ彼らを取り戻していけるか」と訴えた。  刑務所を出所する日が近づくと、「出るのが怖い」と言って頭を壁にぶつけるなどの自傷行為をする受刑者もいたという。「彼らに『また刑務所に戻りたいんですか』と聞くと『うん』と答える。『刑務所は自由も尊厳もない場所ですよ?』と言ったら、『自由はないけど不自由はないよ』という答えが返ってくる」と述べ、出所後も再び刑務所に戻ってきたいがために軽度の罪を犯す人もいるとした。彼らに福祉の支援を受けないかと尋ねると、養護学校などで福祉の支援を受けた経験のある人ほど「あの世界には戻りたくない」と話すという。「だって自分のことを他の人に決められるから。彼らが言いたいのは、『あそこに行くと一本のレールの上に乗せられてしまう。本当にほしいのは選択肢。そのレールから外れると“可愛くない”障害者になっちゃう。だからそんなとこに行きたくない』。この言葉を噛みしめて考えたら、問題は解決できると思う」と、福祉の中にあるパターナリズムを問題視。「変わらなくてはならないのは、罪を犯した障害者ではなく、まずは福祉従事者の意識だ」と指摘した。   ■この問題から日本の社会が見える  山本氏が出所後に障害者福祉施設で働いていた当時、厚労省の担当者にこの実態を話すと、刑務所については知らなかったものの、ホームレスや暴力団などに多くの知的障害が存在していることには薄々気づいていたという。  罪を犯した障害者に対する施策については「『獄窓記』を出版した9年前と比べ、隔世の感があるほど、いろいろな面で動き出した」として、自身が計画に携わったPFI刑務所「播磨社会復帰促進センター」などで、障害のある受刑者のコミュニケーション訓練なども行われるようになり、行政の意識も少しずつ変わりつつあるとした。  山本氏自身が活動の中で、福祉従事者から「なぜ犯罪者を助ける活動をするのか」と意見されることがあるとして、「罪を犯して受刑者になった障害者はある意味、最大の被害者。社会に居場所がない上、刑務所に“避難”した経験があるゆえに結果的に『前科者』と言われる。福祉の基本は何かというと、優先順位として一番大変な人にまずは手を差し伸べることではないか。軽度知的障害者は誤解されやすく、その上、前科がつけば、二重のスティグマがある。こういう人たちを最初に助けていくことで、あまねく障害者のある人、国民全体が暮らしやすい社会になる」と主張した。  最後に「この問題にスポットを当てれば、福祉の足りないことが見える。まだ障害者福祉は緒に就いたばかり。格好を付けて制度や予算などを議論している場合ではなく、現行制度から逸脱したことをどれほどできるか。それによって隠れたニーズが見える。日本全体を包む福祉が貧困で脆弱な中、この問題を取り上げることで今の日本の社会の在り方や福祉の問題点が見える。それにきちんと対応すれば、福祉全体の底上げと、裾野を広げることになると思っている」と、締めくくった。

山本譲司(やまもと・じょうじ)氏

北海道札幌市生まれ。佐賀県立三養基高校卒。1985年、早稲田大学卒業後、菅直人代議公設秘書となり、1989年、26歳で東京都議会議員に。都議二期を経て、1996年、国政の場へ。衆議院議員二期目を迎えた2000年9月、秘書給与詐取事件を起こし東京地検特捜部に逮捕される。2001年6月、懲役一年六ヶ月の一審判決を受け服役。受刑中は、障害のある受刑者たちの世話係を務める。 出所後は、東京都内の知的障害者入所更生施設に支援スタッフとして通うかたわら、執筆活動や講演活動(福祉団体、人権団体、経済団体、弁護士会、教育機関など)を行なう。また、福祉関係者らとともに、「障害のある受刑者の出所後のシェルター」づくりに取り組む。 2006年以降は、PFI刑務所「播磨社会復帰促進センター」や「島根あさひ社会復帰促進センター」の計画立案・運営に携わる。さらには、厚生労働省「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究」の研究員、および社団法人・日本社会福祉士会「リーガル・ソーシャルワーク研究委員会」の委員、そして「人事院・公務員研修所」の講師を務める。 2003年に出版した著書『獄窓記』は、新潮ドキュメント賞を受賞。他の著書に『続 獄窓記』『累犯障害者』『塀の中から見た人生』『覚醒』上下巻など多数。

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