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執筆者の写真kumada rie

トラウマインフォームドケアが難しい3つの理由

 最近国内でも注目されるようになった「トラウマインフォームドケア(TIC)」とは、支援者がトラウマに関する知識や対応を身につけ、普段支援している人たちに「トラウマがあるかもしれない」という観点をもって対応する支援の枠組みです。2000年代以降、北米を中心に広がり、近年日本においても、医療、福祉、司法、教育の領域にも適応されるようになってきました。研修なども増えてきてます。


 トラウマについて理解が深まるのは有り難い一方で、難しさも感じています。私なりの考えを書いてみます。これまでに学んだ研修、書籍、自身の体験などを元にしています。


①トラウマは論理的な存在ではない

トラウマという存在は、非常に理解しづらいです。というのは、トラウマの最大の特徴の一つである「矛盾」を抱えているからです。自分を虐待する親(暴力をふるう夫・恋人)に対しても「怖いから二度と会いたくない」の一方で「会いに行きたい」もある。「大好き」と言うのに「大嫌い」もある。支援者からすると、「どっちかはっきりして」と思うようなことは多々あるでしょう。


そもそもトラウマとは、圧倒されるほどの膨大な量と種類の感情を処理し切れないことによって生まれるものです。だから、そもそもトラウマとはめちゃくちゃであり、カオスです。だから論理的に捉えようとしたり、対応しようとしたりしてもうまくいかないことの方が多いです。そしてそのことは、当事者である本人が一番分かっています。コントロールできない感情に振り回され続け、その状態をやめたくてもやめられない。だから苦しい、だから無力感を感じ、余計にトラウマ反応が強くなって苦しくなるんです。


だから、支援者には「トラウマは矛盾するもの」と知っておいていただきたいです。そして矛盾する感情に対しては「好きだけど嫌い」というbutの捉え方ではなく、「好き。嫌い。どちらもあるよね」と、andで両方の気持ちを肯定してもらいたいです。「好きだけど嫌い」だと、本人も「どちらかの感情にしないと、白黒しないといけない」と思うと余計に苦しくなって、無力感が生じてトラウマによる苦しみが深くなってしまう。でも、「どっちもあっていいんだ」と思えたら、自分自身の感情の肯定につながり、前に進む力になります。


あと、論理的な存在でないからケアの在り方が百人百様です。「これをすればトラウマは治ります!」みたいな魔法の杖のようなものは存在し得ない、というのも分かりにくさの一つでしょう。昔相性悪かったケアが、最近やったらよかった、みたいなこともありますね。



②コミュニケーションのタイプが変わりやすい

個人差はありますが、トラウマを抱えていると周囲の人に対して、回避的なコミュニケーションをとるタイプと、不安型(自己主張が非常に強い)のコミュニケーションをとるタイプがいます。回避的なコミュニケケーションは親密になる関わりを避けたり、大事な話になると避けたりします。不安型は非常に強い自己主張、自分の言うことを認めてもらえるように押し通してきます。さらに、その混合型があって、回避的な時と自己主張的な時が混ざります。まるで人が変わったように、接し方を変えてきます。これも支援者からすると、何を考えているのかわからなくて、戸惑いやすいと思います。

子どもの頃の養育者との関わりによって、自分の感情を表現したことによってつらい思いをした経験は回避型に、激し過ぎる主張でしか関わりを得られなかった経験は不安型になると言われますが、ほとんどはその混合型とされています。極端な回避型と不安型が交互に出てくるパターンには一貫性がなく、捉えにくいです。



③トラウマケアは日本のパターナリズムと相性が悪い

日本の医療や介護の現場はパターナリズム的な関わりがまだまだ多いと感じています。医師を中心としたピラミッドから成る医療、施設収用が中心だった歴史を持つ福祉、それぞれ歴史や背景は違えど、パターナリズムの要素が多くあると感じています。


トラウマを生む暴力や虐待は、力関係に上下がある中で起こります。その支配・被支配の関係が続くと、被害者は24時間ずっと加害者について「どうやったら怒らせないか」「どうすれば怒られずに今日をやり過ごせるか」などと考えるようになります。生活のすべての基準が加害者となり、加害者中心に世界が回るようになります。


助けを得てようやく加害者の元を離れたとしても、被害者にとってはそれまで世界の中心だった加害者がいなくなってしまったので、ある意味非常に心もとなくなって不安になり、「これでよかったんだろうか」「帰った方がいいんじゃないだろうか」と考えます。当たり前なんです。自分のことを大事にすることなんて考えさせてもらえない時間を過ごし、自分より相手を大事にさせられていたのだから。洗脳されているようなものです。加害者から離れたからといって「これでもう大丈夫。次の生活をつくろう」なんて思える健全な心があったなら、多分その人はとっくに加害者から離れることができているはずなのです。命を守るために加害者の元を離れることができて環境が整ったら、今度は被害者が自分を大切にするための心を取り戻していくケアを中長期的に行うことで、本当の意味で加害者から離れられます。簡単じゃありませんが。


この加害者から離れた時というのがポイントで、被害者は自分にとってすべての基準だった加害者がいなくて非常に不安定になっています。その時に支援者が「これがあなたのためだ」「あなたはこうするべきだ」などと支配的な関わり方をしてしまうと、支配されることに慣れた被害者は、今度は支援者からの支配下に置かれる状態に自らを置いてしまいます。本来なら、被害者が力を取り戻し、自ら決定や判断して人生を送っていけるようになってほしいですが、それと真逆のことが起こってしまうのです。


生命が脅かされている状態の時は、ある程度強引な関わりは必要だと思います。ただ、安心と安全が保証されている状況下においては、本人が自己決定をしていけるような支援に移っていくことが必要になると思います。パターナリズム的な関わりはトラウマ反応を悪化させたり、本人が他人と尊重のコミュニケーションを築くことを阻害する要因にもなると思います。


日本はパターナリズム要素のある支援が色濃く残っているので、トラウマケアとは相性が悪いなあと思っています。トラウマインフォームドケアの考え方が浸透することで、パターナリズムではない、尊重のケアが広がったらと思っています。
















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