6/15はACOA大阪でした!
お借りしているお部屋の庭に咲いている紫陽花がとても綺麗です。普段からお世話になっている池田市内のNPO法人様の一室をお借りしていますが、お部屋がとても心地よく、いらした方から「お花が素敵、部屋の雰囲気が好き」とのお声を頂いています。
自助グループは参加者の安心安全の場をつくることを第一にしているので、このような場所をお借りさせて頂けて、本当に有り難いです。
トラウマケアの過程では、自分の心の傷や悲しみの部分と向き合っていくことがあります。もちろん、個人でケアの過程は違うので、タイミングや方法などはそれぞれです。
ただ、この悲しみや痛みと向き合うこと、私たちは不得手だなと思います。というのは、小さい頃から「泣かないの!」とか「泣くなんてみっともない、恥ずかしい」と言われたり、「時間が解決する」「楽しいことで気を紛らわそう」「まだ泣いてるの?早く忘れなよ」などと言われて、悲しみの感情としっかり向き合うことを避けるよう促されて育っている人が多いと感じています。
相手が泣くとどうしていいか分からなかったり、泣くのはよくないことだと思って早くその状態から出られるようにしてあげたい、と思うからかもしれませんね。良かれと思ってそう言っている、とは思います。(ちなみに、悲しみの感情を大切にされないことは境界線の侵害に当たります)
ただ、悲しみの感情は生きたエネルギーとされます。しっかり向き合わなければ決して癒されることはなく、留まり続けると言われています。一時的に気を紛らわせたり、忘れたとしても、心の中に残っていて、別の形で噴出したり、こじれた形でその後の自分の言動に影響したりします。(思考は雲のようなもので、流れ、忘れることができると言われます。感情は違います)
だから適切にケアされることが必要です。子どもであれば、養育者がそばにいて「悲しかったね、つらかったね、怖かったね」など一緒に言語化したり、泣くことに付き合ったりして、悲しみの感情は悪いものではないことを伝えてあげるのも一つの方法になるかもしれません。子どもが、「自分では取り扱うことができない」と思うほどの感情の大波であったとしても、大人が寄り添って言語化したり、一緒に過ごすことで、この感情は自分で対処できると思えるようになることもあると思います。ここであまりの悲しみ、伴う様々な感情に圧倒され、飲み込まれてしまうような無力感を感じるとトラウマの原因となるとされています。悲しみを感じ、受け止め、次のステップに進む経験は、その後の悲しみにも同じように対処できる力となります。
ある書籍に、『感情に「良い悪い」はない』とありました。悲しみは、連続した行動パターンが終わりを告げる時に現れる感情だそうです。その感情をしっかり感じることで、私たちは次に進む力を育むことができるそうです。つまり悲しみは、変化に対応しながら生きていくための力を養う、そのために現れる感情です。人生のステップを進めるために現れてくれている、とも言えるかもしれません。
そう考えると、適切に悲しみに対処できる力は、生きていくうえで、非常に大切なスキルではないでしょうか。
人生は、獲得と喪失の連続です。私たちは富や名声、知識など獲得することばかりに注目し、褒めそやしますが、得ることは同時に何かを失っていることでもあります。失う時には、多かれ少なかれ悲しみが起きます。その悲しみへのケア(喪失へのケア=グリーフケア)を、あまりに軽んじ過ぎているのではないか、と思います。
メディアやSNSを見れば、「儲けろ、賢くなれ、美しく強くあれ」というメッセージに満ちています。何かを失ったり、失敗した時、変化しようと努力するのはいいと思いますが、悲しみに目を向けないままでは、地に足が付かず、空回りを続けるように思います。
日本ではグリーフケアは死別を経験した遺族へのケアという意味で捉えられることが多いですが、欧米でのトラウマケアの現場では喪失(失うこと)全般へのケアとして実践されているそうです。
悲しみや痛みを、もっと丁寧に扱う雰囲気、現場でのケアが日本でもされていくといいのになあ、と思います。境界線とグリーフケアは、生きていくうえでの必須スキルだ、としみじみ感じている最近です。
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