日本が誇る経済学者の堂目卓生教授の講演を聞いてきました。「目指すべき社会を考える―アダム・スミスを起点として」というタイトルから難しい話だろうと警戒していた自分を大いに恥じました。
こんなに分かりやすいアダム・スミス、ミル、アマルティア・センの話は生まれて初めてでした。歴史、当時の状況や彼らの生い立ちからどうしてその考え方が生まれたかを誰にでもわかる言葉で説明してくださいました。
貧困や環境破壊など世界と日本が抱える課題を、「豪華客船の底に穴が開いていて、みんな『誰かが何とかしてくれるだろう』と見て見ぬふりをして上ばかり見ていたらどんどん穴が大きくなって。日本は1等客室から3等客室に。それでも上ばかり見ているから穴がさらに大きくなって水が入ってきている。どうする?という状況」と例え話。とても分かりやすいです。
その上での、経済学。
(以下は、私なりの理解をさらに砕いて書いているので、学術的な正しさや言葉選びの是非についてはご容赦ください。文責は私にあります)
利己的に競争しても社会は繫栄するするとアダム・スミスが唱えた「見えざる手」は、共感がベースにあることで社会の秩序が保たれているという根底があるからこそ。
ミルは、人は幸福を追求するべきだが、そもそも生きる上での選択肢があって様々な体験ができなければ幸福が何なのか分からないと、もっと機会が開かれるべきと訴えた。例えば女性参政権、労働者への教育普及、財産の平等化など。
センは、経済的な利便性ばかりよくなっても意味がないと。政治に関われること、情報アクセスが良いこと、生きる上での選択肢があること、危機管理がされていること、などがあることで自分自身をより高められるようになると。
近代社会では弱者は有能な人に一方的に助けられるというような考え方をされるが、実は違うのではと堂目教授。助けを必要とする人と助ける人は、実は相互に助け合う関係がある。一方からは財とサービスの支援。もう一方からは心の壁の解放。
今後目指すべき社会は「助ける人」と「助けを必要とする人」の共助社会。
共助社会を支える経済は、企業は共感によって投資家・労働者・消費者から支えられる(ESG投資、エシカル消費、健全なサプライチェーン、労働環境等)。
その企業が政府やNGOと共に「いのち」を支えていく。その「いのち」とは助けを必要とする人であると同時に、投資家・労働者・消費者でもある。こうしてぐるっと経済が共感と共助により回ることになるだろうと。
私たちがなすべきことは、目指すべき社会を構想し、課題や課題解決の方法を考え、仲間をつくって実験して行動する。ソーシャルムーブメントを起こすことと。それが堂目教授にとっては大阪大学SSIという場であるお話でした。
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